音色の魔術師 セゴビア

クラシックギターにおける『現代奏法の父』と呼ばれるセゴビアは、 それまで酒場に似合う伴奏楽器というギターの地位を、 コンサートホールで演奏される芸術性の高い独奏楽器へと引き上げた功労者といえます。

◆奏法
それまで主流だった右指の腹で弾く指頭奏法ではなく、爪を用いる弾き方により遠達性が向上し、 大ホールでの演奏を可能にしました。また左指のビブラートにより、音楽に求められる繊細なニュアンスを奏でられるようになりました。



◆楽器の性能アップ
マヌエル・ラミレス、ヘルマン・ハウザー、ホセ・ラミレスなどの製作家と共に楽器に改良を加え、 それまでよりひと回り大きいボディに変更して音量アップに成功。
また第二次世界大戦後、それまで一般的だったガット弦(羊の腸)からナイロン弦に変更。 これにより、リサイタルの途中で弦(腸)の一部がほつれてくるなどの煩わしさが無くなり、 奏者が演奏に集中できる環境作りにも貢献しました。

◆レパートリー
タレガや自分自身の手による編曲により、バッハ、シューマン、シューベルト、ショパン、スカルラッティ、 メンデルスゾーンの名曲を演奏会のプログラムに取り入れるだけでなく、 同時代の作曲家に積極的に働きかけレパートリーの拡大に尽力しました。

彼に作品を献呈した代表的な作曲家としては、ポーランドのアレクサンデル・タンスマン、 スペインのホアキン・ロドリーゴ、フェデリコ・モレーノ・トローバ、イタリアのマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ、 ブラジルのエイトール・ヴィラ=ロボス、メキシコのマヌエル・ポンセなどがいます。



◆指導者として
彼は生涯にわたって多くの学生を指導しています。特に有名な門人としては、
アリリオ・ディアス(Alirio Diaz 1923-2016 ベネズエラ)
松田晃演(まつだ あきのぶ 1933-日本)
オスカー・ギリア(Oscar Ghiglia 1938-イタリア)
ジョン・ウィリアムズ(John Christopher Williams 1941-オーストラリア)
クリストファー・パークニング(Christopher Parkening 1947-アメリカ)
エリオット・フィスク(Eliot Fisk 1954-アメリカ)
ステファノ・グロンドーナ(Stefano Grondona 1958-イタリア)などがいます。


アンドレス・セゴビア(Andrés Segovia 1893-1987)

1893年、スペインのハエン県リナレス市に生まれます。 大工職人の父はボニファシオ・セゴビア(Bonifacio Segovia Montoro)、母はロシータ・トーレス(Rosa Torres Cruz)。
1895年、ハエン県のビジャカリージョに住む伯父夫婦(エドワルドとマリア:Eduardo & María)に預けられます。

1902年、父ボニファシオが亡くなります。
1903年、伯父夫婦と共にグラナダに移り住みます。
1909年、16才、グラナダでプライベートコンサートを開催。



1912年、マドリッドで初リサイタル。伝統的マドリッド派のギター製作を学びトーレススタイルを導入した製作家、 マヌエル・ラミレス(Manuel Ramirez)と出会い、プロ用の高級ギターを無償で贈られます。

1916年、バルセロナで初リサイタル。
1919年1月26日、バルセロナの「グラナドス・アカデミア」で演奏。 この会場で若手女流ピアニストのパキータ・マドリゲーラ(Paquita Madriguera 1900-1965)と知り合う。
1920年、初の南米ツアー。ブエノスアイレス、モンテビデオにてデビュー。
1920年12月23日、南米ツアーを終えてスペインに帰国後、アデライーダ・ポルティーリョ(Adelaida Portillo 1894-)と結婚。

1921年、パリで作曲家アレクサンデル・タンスマン(Alexandre Tansman 1897-1986)と知り合う。
ピアニストだった彼はギター曲の作曲家としても有名で、そのほとんどはセゴビアの為に作曲されています。
1922年、マドリッドで、スペインの作曲家マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla y Matheu 1876-1946)作曲の 『ドビュッシーの墓に捧げる讃歌』(Homenaje, pour le tombeau de C.Debussy)を初演。

1923年、初のメキシコを訪問。マヌエル・ポンセ(Manuel María Ponce Cuéllar 1882-1948)と知り合う。 セゴビアの演奏に魅入られたポンセは、この年、ギターの為の『ソナタ・メヒカーナ』(Sonata Mexicana)を作曲。セゴビアに献呈。

1924年、パリで初リサイタル。
ブラジルの作曲家、エイトール・ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos 1887-1959)と知り合う。
ドイツの弦楽器製作者ヘルマン・ハウザー(Hermann Hauser)を訪問。
1925年、タンスマンが『マズルカ』(mazurka)を作曲。セゴビアに献呈。



1926年、ソビエト連邦での初ツアー。
1928年、アメリカに演奏旅行。
このツアー中、ハウザーがギターを提供。(1933年までツアーで使用)
エイトール・ヴィラ=ロボスが、ギターの為の『12の練習曲』をセゴビアに献呈。
1932年、イタリアの作曲家マリオ・カステルヌオーヴォ・テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco 1895-1968)に出会う。 彼はギターを弾かない作曲家だったので研究用の資料として、 ポンセの『スペインのフォリアによる変奏曲』とソルの『魔笛の主題による変奏曲』を提供。

1935年、バッハのシャコンヌをギターに転写してパリで初演。
グラナドスの弟子で昔からの知り合いだった女流ピアニスト、パキータ・マドリゲーラと結婚。
1936年、アメリカ、イタリア、ソビエト連邦へツアー。

1936年7月18日、スペイン市民戦争勃発。
1938年、ミゲル・リョベート没。(2月22日)
1939年4月1日、スペイン市民戦争終結。

1940年1月-3月、中米、カリブ海、ペルーへのツアー。
1941年、ポンセが『南の協奏曲』(Concierto del Sur)を作曲。
同年、ウルグアイの首都モンテビデオにてセゴビアのギターで初演。
1942年、チリ、ブラジル、アルゼンチンでコンサート。

1944年、ニューヨークに移り住む。
カーネギーホールにてポンセとテデスコのギター協奏曲を演奏。
1945年、セゴビア編『ソルの20の練習曲』が出版される。
1946年、ナイロン弦を初使用。マヌエル・デ・ファリャ没。(11月14日)
1948年、パキータと離婚。マヌエル・ポンセ没。(4月24日)



1951年、エイトール・ヴィラ=ロボスが『ギター協奏曲』を作曲、セゴビアへ献呈。
当初はカデンツァが存在しない「協奏的幻想曲」として作曲されましたが、後に改編。
1952年、ブエノスアイレスのブロードウェイ劇場でタンスマンの『カヴァティーナ組曲』(Cavatina Suite)を初演。

1954年、スペインの作曲家、ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo Vidre 1901-1999)が『ある貴紳士のための幻想曲』を作曲、 セゴビアへ献呈。
1956年2月6日、エイトール・ヴィラ=ロボス作曲の『ギター協奏曲』を初演。
1958年、スペイン音楽国際講習会/サンチャゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela)で指導を開始。

1959年、2度目の日本公演。エイトール・ヴィラ=ロボス没。(11月17日)
1960年、ハウザーⅠ世が故障。使用楽器をホセ・ラミレスⅢ世に変更。
1962年、エミリア・コラール・サンチョ(Emilia Corral Sancho)と結婚。マドリッドに定住。
1967年、BBCテレビ制作映画『Segovia at Los Olivos』(スペイン南部にあるセゴビアの別荘ロス・オリーボスにて撮影)を制作。
1968年、セゴビアに献呈されたタンスマンの『ポーランド風組曲』(Suite in modo polonico)が出版される。

1969年、スペインの指揮者・作曲家のフェデリコ・モレーノ・トローバ(Federico Moreno Torroba 1891-1982)が、 スペインのカスティージャ地方に城をテーマにして作曲した作品集『スペインの城』を初演。
1972年、オックスフォード大学から名誉博士号を授与。

1976年、映画『Song of the Guitar』(ギターの歌 アルハンブラのセゴビア)を撮影。
1978年、ニューヨークにてアメリカデビュー50周年記念演奏会が開催される。
1980年、3度目の日本公演。



1981年6月24日、スペイン国王フアン・カルロス1世(Juan Carlos I)よりサロブレーニャ侯爵(Marquis of Salobreña)の爵位を賜る。
1982年、4度目の日本公演。
1986年、アレクサンデル・タンスマン没。(11月15日)

1987年、カーネギーホール定期公演の3日前の4月8日、心臓に異常を感じて入院、 アメリカツアーの残りの日程は取り消され、体調が戻ると空路スペインに帰国。
1987年6月2日、毎日の日課である午前の練習を終え、午後のテレビ番組を視聴中に静かに息を引きとりました。


セゴビアのポートレート Andres Segovia in Portrait

こちらは前項の年表一覧でも紹介した2本の映画を1本のDVDにまとめたもので、 セゴビアの演奏を実際に確認する資料としてばかりでなく、鑑賞用としても優れた名作ではないかと思います。
(以下、作品紹介文より抜粋)



『Segovia at Los Olivos』(ロス・オリーボスのセゴビア)
1967年に収録。スペイン南部のセゴビアの新しく建てられた家で収録されたもの。 リラックスした雰囲気の中、彼自身の信念や音楽について語っています。 バッハ、モレノ・トローバ、リョベート、タレガ、カステルヌォーヴォ・テデスコ、グラナドスの作品を演奏。



『Song of the Guitar』(ギターの歌 アルハンブラ宮殿のセゴビア)
1976年にアルハンブラ宮殿で撮影。こちらも彼のギターについての思いが語られていきます。 独学でギターを学び、世界中で活動を行い「現代クラシック・ギター奏法の父」と讃えられるセゴビアの静かな語り口は感動ものです。 こちらではアルベニス、グラナドス、スカルラッティ、ラモー、ソル、ポンセ、アグアド、バッハ、ショパン、モレノ・トローバを演奏。