近代のクラシックギター(1900-1950)

20世紀初頭、南アメリカは、傑出した多くの音楽家が誕生していました。
アグスティン・バリオス(Agustín Barrios Mangoré 1885-1944/パラグアイ)
「郷愁のショーロ」「大聖堂」
フリオ・サルバドール・サグレラス(Julio Salvador Sagreras 1879-1942/アルゼンチン)
「マリアルイサ」「蜂雀」
ホアン・ペルナンブコ(João Pernambuco 1883-1947/ブラジル)
「鐘の音」
エイトール・ヴィラ=ロボス(Heitor Villa-Lobos 1887-1959/ブラジル)
「ブラジル民謡組曲」「5つの前奏曲集」「12の練習曲集」

また1930年代に入るとスペインが再びギターの中心地として浮上し始めます。
マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla y Matheu 1886-1946)
ホアキン・トゥリーナ(Joaquín Turina Pérez 1882-1949)
ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo Vidre 1901-1999)

そして、この同時期、20世紀最大のギター奏者アンドレス・セゴビアの登場により、ギターの為に作曲する作曲家が数多く現れていきます。
マヌエル・ポンセ(Manuel María Ponce 1882-1948)
「エストレリータ」「ガボット」
アルベール・ルーセル(Albert Charles Paul Marie Roussel 1869-1937)
「セゴビアop.29」
フランシス・プーランク(Francis Jean Marcel Poulenc 1899-1963)
「サラバンド」
フランク・マルタン(Frank Martin 1890-1974)
「ギターの為の4つの小品」
ジャック・イベール(Jacques Ibert 1890-1962)
「間奏曲」「アリエッテ」「フランセーズ」
フェデリコ・モレノ・トローバ(Federico Moreno Torroba 1891-1982)
「組曲 スペインの城」「ソナチネ」「カスティーリャ組曲」
フェデリコ・モンポウ(Federico Mompou 1893-1987)
「コンポステーラ組曲」
マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco 1895-1968)
「プラテーロと私」「ギター協奏曲二長調op.99」
アレクサンドル・タンスマン(Alexandre Tansman 1897-1986)
「ポーランド風組曲」

今回はスペインの作曲家マヌエル・デ・ファリャと、ギター界に数多くの名曲を残したイタリアの作曲家、 マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコの2人を取り上げてみます。


マヌエル・デ・ファリャ Manuel de Falla (1876-1946)

1876年、スペインの南、アンダルシア地方の港町、カディス生まれ。 幼いときから母親からピアノを学び、10代の頃から作曲を開始。
1896年、マドリードに移り住み、グラナドスと同じマドリード音楽院でホセ・トラゴ(José Tragó)にピアノを学びます。
1897年、チェロとピアノの為の「メロディア Melodía」を作曲。
1902年、スペイン国民楽派の祖であるフェリーペ・ペドレル(Felip Pedrell)に作曲を師事。 またこの年、同じアンダルシア出身のピアニスト、ホアキン・トリーナ(Joaquín Turina 1882-1949)に出会います。



1905年、27歳、作曲コンクールにおいて、オペラ『はかなき人生』(La vida breve)で第1位を獲得。 また、その翌日に開催されたピアノ・コンクールでも第1位を獲得。これによりファリャの名はスペイン中に認められました。 (※このピアノ・コンクールで2位に入賞したのが、前章に登場したフランク・マーシャルでした)

コンクールの作曲部門で1位に輝いたファリャでしたが、優勝作品はマドリッドで上演する~という当初の約束は果たされず、 マドリード音楽院の態度に失望した彼はパリへと旅立ちます。

1907年、パリで当時、先駆的な作曲家として有名だったポール・デュカス(Paul Dukas 1865-1935)と出会い、 彼に近代作曲技法を学ぶかたわら、 デュカスの紹介によりドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)と、 またそのドビュッシーの紹介でラヴェル(Joseph-Maurice Ravel 1875-1937)や、 フォーレ(Gabriel Urbain Fauré 1845-1924)とも親交を深めていきます。

時を同じくして、前述のホアキン・トリーナ(Joaquín Turina Pérez 1882-1949)や、 すでに円熟期を迎えたアルベニスとも交友関係を築き、 ここに民族音楽と印象派音楽の融合という新しい独自の音楽様式を確立するに至ります。 こうしてアルベニス、グラナドスと続いたスペイン国民学派は、このファリャをもって一応の完成を見る事になります。

1909年、『4つのスペイン小曲集』(4 Piezas espanolas)をデュラン社より出版。
しかし、ほどなくして第1次世界大戦が勃発。
1915年、39歳、スペインに帰国。マドリッドでは、パリで成功をおさめた母国の偉大なる作曲家が帰ってきたと拍手で迎えられ、 彼の『はかなき人生』『恋は魔術師』、新作の歌曲『7つのスペイン民謡』、 そして『スペインの夜の庭』(ピアノとオーケストラのための交響的印象)など、これらの初演は大成功をおさめます。

この『スペインの夜の庭』は、3楽章形式からなる、ピアノとオーケストラの為に書かれた作品で、 グラナダのアルハンブラ宮殿をモデルにして書かれており、宮殿の幻想的な雰囲気を想起させる叙事詩となっています。

1919年、ロンドンにて、ロシア・バレー団の団長、 セルゲイ・ディアギレフ(Sergei Diaghilev)から依頼されたバレエ音楽『三角帽子』(El sombrero de tres picos)を初演。
これは、画家として有名なパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)が衣装デザインを担当したことでも話題になり、 大変な成功をおさめた曲ですが、ギター独奏で広く世に親しまれている『粉屋の踊り』は、この『三角帽子』の中の一曲です。

1919年、ピアノ曲『ファンタジア・ベティカ』(Fantasia Baetica)が完成。
この曲は、別名『アンダルシア幻想曲』とも言われ、巨匠アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein)の希望によって作曲され、彼に献呈されています。曲名の 「Baetica」は、ラテン語で~スペインのアンダルシア地方のことを指し、ローマ帝国の支配下にあった古代スペインのアンダルシアに思いを馳せて作曲しています。このピアノ曲にはフラメンコギターに見られる独特のリズムと不協和音が用いられており、鮮やかなサパテアートのリズムと、かき鳴らされるギターの響きがエネルギッシュに展開されています。


(右:ルービンシュタイン 中央:ファリャ)

1920年、 44歳、当時、亡くなったドビュッシーを悼んで、 唯一のギター曲である『ドビュッシーの墓に捧げる讃歌』(Homenaje, pour le tombeau de C.Debussy)を作曲。 楽曲の終り近くにドビュッシーのピアノ曲『版画』から第2曲の『グラナダの夕暮れ』のメロディが使われています。
同年、ピアノ曲として(作品番号:G.57)編曲、また後年には、管弦楽版(作品番号:G.86の第2曲)へと編曲されました。

生来、神経質であまり外向的ではないファリャは、華やかで社交的な生活がしだいに疎ましくなり、 一時、バルセロナで暮らしていたものの、44歳の頃からは、グラナダのアルハンブラ宮殿の近くに落ち着いた家を見つけ、 この地に彼独自の世界を求めるようになりました。

1935年、『ポール・デュカスの墓に』(Le tombeau de Paul Dukas)を作曲。 この作品も同じく友人のポール・デュカスを偲んで作曲したもの。 完全主義者で神経質、その上、敬虔なカトリック信者でもあった彼は、雑然とした世の中からは身を遠ざけ、生涯独身を通しています。

1936年、スペイン内戦が勃発。
1939年、親友だったフェデリコ・ガルシーア・ロルカが銃殺されたことにショックを受け、 南米アルゼンチン、ブエノスアイレスへ亡命。2度と祖国の地を踏むことはありませんでした。
1946年11月14日、70才で他界。



ファリャは、主に管弦楽曲の作曲に才能を発揮した為、アルベニスやグラナドスとは違いピアノ曲は作曲していません。 しかし、彼のバレー音楽『恋は魔術師』からは、ピアノ編曲版として『火祭りの踊り』が出版されており、 これは前述のピアニスト、ルーヴィンシュタインが演奏して広く親しまれるようになりました。


パコ・デ・ルシアとファリャ Paco de Lucía (1947-2014)

パコは、まぎれもなく20世紀に活躍した現代のフラメンコ・ギタリストなので、 ここで紹介するのは、少々、場違いな気もしますが、数多くの彼のアルバムの中に、 ファリャ作品でまとめた1枚があることから、あえて取り上げてみました。

フラメンコギタリスト一家に生まれたパコは、父や二人の兄と共に、 物心つく前からフラメンコを演じはじめ、小学校にも通わず、ひたすらギターを弾き続け、わずか12才で初レコーディングを経験。



70年代に入ると、フラメンコのみならずクロスオーバージャズの友人とのセッションを通じ、その名は世界に浸透していきました。 特にジョン・マクラフリン(John McLaughlin)、アル・ディ・メオラ(Al Di Meola)とのスーパーギタートリオは有名です。


(炎:パコの背後にファリャがたたずんでいるCDジャケット)

1978年に発表された『炎』は、パコが30才をむかえた頃の意欲作で、全楽曲をファリャ作品でまとめたアルバムです。 このアルバム内の「粉屋の踊り」は、パコ以外のクラシックギタリストも名演を残していますが、 本家フラメンコ奏者のラスギアードは秀逸で、他にもシンプルなギター重奏による『スペイン舞曲』や、 ジャズセッションによる『火祭りの踊り』『狐火の踊り』など、才気あふれる演奏がちりばめられています。