バロック時代のギター作品
現代のクラシックギターで愛奏されるバロック時代のレパートリーには、
バロック・ギターやリュートの為に書かれた作品と共に、鍵盤楽器からの編曲作品があります。
1674年、スペイン人ギタリスト、学僧でもあったガスパル・サンス(1640-1710)が『スパニッシュ・ギターの音楽教育』を出版、
(※スパニッシュ・ギター=バロック・ギター)
1670年、フランスのパリにおいては、宮廷楽師だったフランチェスコ・コルベッタ(1615-1681)が『王宮のギター』を出版、
1682年には、前述のコルベッタの後継者のロベール・ド・ヴィゼ(1650-1725)が『王に捧げしギター曲集』を刊行しています。
1692年、イタリアの貴族でギター奏者だったルドヴィコ・ロンカッリ(1654-1713)が『スパニッシュ・ギターの為のカプリッチョ』を出版。
1705年には、1703年からルイ14世より任命を受け、
パリの王立音楽院のテオルボ(=リュート族の撥弦楽器)とギターの教師をつとめていたフランソワ・カンピオン(1660-1748)が、
『ギターに関する新しい発見』を、そして『ギターの為の第1フーガが表された伴奏論』を出版しました。
現代のギターで演奏するのに適する代表的なリュート曲としては、大作曲家、
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)の作品があります。
またこの時期、鍵盤音楽の世界で活躍したドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)の作品は、
次の時代のクレメンティ(1752-1832)とツェルニー(1791-1857)に多大なる影響を与え、
ピアノの普遍的なメソードが確立される事になりますが、クラシックギターの分野においては、
20世紀の最も優れたギタリスト、アンドレス・セゴビアによってギター曲へと生まれ変わり、
今日まで数多くのソナタが素晴らしいレパートリーに加えられてきました。
バロック・ギターについて
見た目はかなり似通っている、「ビウエラ」と「バロック・ギター」ですが、
この2つの楽器の決定的な違いは『コース』の数にあります。
コースとは、当時のギターのほとんどが、通常、復弦であった為、4コースの場合なら弦は8本ある為に単弦の楽器と区別する呼び方で、
ビウエラの6コースに対し、バロック・ギターは4コース。この点が、この2つの楽器の最大の違いとされています。
このバロック・ギターは、時として例外的にリュートのように、最高音弦のみが単弦のものも存在していましたが、
いずれにせよギターの持つ弦(=コース)の数が少なかった為に、現代のクラシックギターのような低音部が存在せず、
結果、どうしても音域が狭くなりがちで、声部の処理においても、作曲家は特に工夫を凝らさなければなりませんでした。
また、当時のギターの調弦は、現在のギターの①~④弦までの調律の仕方と全く同じでしたが、
全体のピッチが、通常、1全音(=長2度)低かったということもあり、バロックギターの曲を現代の6本の単弦ギターで演奏することは、
歴史的再現という視点からは、ほど遠いものにならざるをえません。
以上の点を踏まえた上で、このバロック・ギターの曲を、より効果的に現代のクラシックギターで演奏できるように、
数多くのギタリストや作曲家が編曲を試みていますが、中でも、ガスパル・サンスの小品を抜粋して集めた、
ナルシソ・イエペス編の『スペイン組曲』が有名です。
リュートについて
リュートは、数多くの肋材を合わせて作った共鳴胴を持ち、西洋梨を縦に割ったような形をしている為、
ギター族とは区別されています。その糸巻の付いているヘッドは、ギターのようにネックの延長線上についているわけではなく、
背面に向かって折り曲げられている点が特徴となっています。また、ビウエラと異なり、最高音弦は複弦ではなく単弦でした。
Lute(=英語)の語源としては、
①,アラビア語のアル・ウド"al ud"(木の意味)がヨーロッパに入り、不定冠詞の母音が省略され、ラウド、ルート、リュートに転じたと言う説。
②,アラビア語のエルー"elue"(木の意味)からという説。
③,リュートの音域"La~ut"(A~G)より転じたという説。
主に上記、3つの説が伝えられていますが正確なところは不明のようです。
リュートの6つのコースは高音弦から低音弦にむかって、トレブル、スモール・ミーン、グレイト・ミーン、
コントラテナー、テナー、バスと呼ばれており、記譜法として用いられていた『タブラチュア譜』の、
左指で押さえるべきフレット部分には、
『a』 は、開放弦
『b』 は、1フレット
『c』 は、2フレット ~という具合にアルファベットが使われていました。
16世紀のリュートの調弦法はビウエラの調弦と同一で、全体のピッチは現在のギターよりも『3度高く』調律されていました。
16世紀後半、コースが増えると、7コースリュートの場合は、6コースリュートの最低音 G よりも4度低い D の復弦が加えられ、
8コースリュートの場合は、6コースリュートの最低音 G より2度低い F の音の復弦が加えられていきました。
リュートの作曲家
12世紀、フランスのプロバンス地方において、中世のオック語抒情詩の詩人、
作曲家、歌手とされる「トルバドール」が登場すると、 これがイタリアやスペインへと広まり、
14世紀、ドイツに登場した伝統的騎士道精神や宮廷の愛を歌う「ミンネゼンガー」や、
16世紀、手工業者のギルド内で詩と歌の腕を磨き合う「マイスタージンガー」によって最盛期をむかえます。
①. ハンス・ノイジードラー Hans Newsidler (1508-1563)
②. アンソニー・ホルボーン Anthony Holborne (1545?-1602)
③. ダニエル・バチュラー Daniel Batchelar (1572-1619)
④. ジョン・ダウランド John Dowland (1563-1626)
⑤. ロベール・ド・ヴィゼー Robert de Visee (1650?-1725)
⑥. ヨハン・セバスチャン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)
リュート最盛期とされる16世紀、1590年デンマークのアン王女がエジンバラ入りしたことを祝った詩の中に
『楽器の唯一の王たるリュートで弾き、歌ったものもいた~』
Sum on Lutys did play and sing Of instrument the only king. と記されていることからも、
当時、この楽器が、他の追随を許さぬ不動の地位を築いていたことが理解できます。
しかし17世紀後半になると徐々に衰退、18世紀にはその地位をチェンバロ(=クラブサン)にあけわたすことになります。