ルネサンス時代のギター作品
この時代の「撥弦楽器(はつげんがっき)」~リュートやビウエラの音楽は、
古典時代のピアノと同じくらい重要な地位をしめていました。
1525年、ヴェネツィアで出版商オッタヴィアーノ・ペトルッチ(1466?-1539)が、
活版印刷術を導入したことで印刷技術の革新が起こります。
それまでは、主に手書きや木版などが主流だった印刷技術は、この新技術に置き換えられ、
優れたルネッサンス時代の楽曲が現代に伝えられています。
1536年、ポルトガルの王宮につながりを持つ貴族ドン・ルイス・ミランは、
ヴァレンシアで、『エル・マエストロ』 と題された指で弾くビウエラ曲集を出版します。
この曲集には、ビウエラのための器楽曲や、ビウエラ伴奏の歌曲が収録されていました。
その2年後の1538年、ルイス・デ・ナルバエスが、
バジャドリードで 『ビウエラ演奏のためのデルフィンの6部の譜本』を出版。
スペインでの変奏練習曲の始めとなりました。
1546年、セヴィリアでアロンソ・ムダーラの『ビウエラのための3部の譜本』が出版されましたが、
この曲集の第3巻には、4弦ギターのために作曲された小品が収録されており、
これが世界で最初に出版されたギター楽譜となりました。
1551年にはアドリアン・ル・ロワが、従兄弟であるロベール・バラールと協力しながら、王から9年間の特権を得て出版社を設立。
サン・ジャン・ド・ボーヴェ通りに開業した二人は、1551年から1556年にかけて、5冊のタブラチュア譜を出版しています。
1570年頃、当時のスペインで、それまで主流だった4本弦に「第5弦」が追加され、低音域が広がりました。
また、この弦の追加に加え、1650年頃に広く採用されていた平らな背板が取り入れられる事により、
この種の楽器は「スパニッシュ・ギター」(=昨今ではバロックギター)と呼ばれるようになりました。
タブラチュア譜について
現代におけるタブ譜といえば、通常の5線譜の下に使用する弦と押さえるポジションを記したもので、
初心者用の教材や楽譜集などで頻繁に確認することができますが、ルネッサンス時代のタブラチュア譜は、
この時代、まだ5線譜が発明されていなかった事もあり、かなり難解なもので、
一般のギター愛好家が理解するには、かなりの労力を必要とするはずです。
また、ひとくちにタブラチュアと言っても、当時、その記譜法には様々な種類があり、
ドイツ式、イタリア式、スペイン式、フランス式、そして、それらの中間的な亜流も存在しています。
ただ、これら全てのタブラチュア譜に共通している点もあり、
①,音価をストッピング記号=押弦記号の上に記入している。
②,ドイツ式は、線を用いずに押弦個所を記号や文字~アルファベットで記入、
③,他のタブラチュアは、6弦に合わせて6線を用いて押弦個所を記号や文字で示しています。
更に古い曲集の解読を困難にしているのは、バー(=縦線)も音価表示も無く、その曲の内容や性格から推測して、
その曲に適した小節や拍子を発見せねばならず、音価のつじつまが合うように記号を並べ直さなくてはならない為、
結果、これらの作業には膨大な時間が必要となってしまいます。
以上の様な点から考えても、ルネサンス時代のタブ譜を解読する作業は、
この分野の専門家の研究分野といえますので、一般のギター愛好家の皆さんが、この時代の曲を演奏する際には、
当時のタブ譜を現代の5線譜に改めた上で出版されている楽譜を使うことをお薦めします。
ルネサンス様式の解説
現代のギタリストが、ルネッサンス時代の曲を演奏するには、それなりの発想と工夫が必要となります。
なぜなら、当時は、強弱~ピアノ、フォルテの記号が無かった時代であることや、
ほとんどの舞曲形式のタイムが不明である点から、楽曲の唯一の手がかりとなるタブラチュア譜を忠実に解読し、
その音楽を再現することが困難だからです。しかしそれでも、おおよその形を表記すると以下の様になります。
▼ Allemande 2拍子系 歩く速度で
▼ Ballett 2拍子系 速く歩く (速いアレマンド)
▼ Basse dance 2拍子系 歩く
▼ Bergamasca 2拍子系 ユーモラスな舞踏歌
▼ Bourree アウフタクトを持つ2拍子系 生き生きと。アクセントを付けて
▼ Branle (simple) 2拍子系 生き生きした民舞
▼ Branle (gay) 3拍子系 生き生きした民舞
▼ Canarie 3拍子系 速く、飛び続ける
▼ Chorea (chora!dance) 2拍子系 舞踏歌
▼ Courante (running dance) 3拍子系 生き生きと
▼ Galliard 3拍子系 愉快な飛び踊り
▼ Passamezzo 2拍子系 歩く (速いパバーヌ)
▼ Pavane (paduan dance) 2拍子系 ゆっくり歩く
▼ Rondu 3拍子系 輪舞
▼ Volta 3拍子系 流れるクーラント
ビウエラの音楽
ビウエラに関して出版された文献は8巻あり、
器楽の独奏曲と共にソロの歌曲や編曲された合唱曲なども含まれています。
これらの作品集は、聴く人を魅了する鑑賞用というより、
むしろ自ら楽譜を読み、演奏すること自体を楽しもうとする人達の為に作曲されていた傾向が強く、
現代のギターで演奏するには適さない曲も数多く存在しています。
しかし中には例外もあり、ムダーラの「ファンタジア」の様に、その当時の著名なハープ奏者、
ルドヴィーゴのスタイルを模倣した優れた名曲(=難曲)も存在しています。
①,ルイス・ミラン の『エル・マエストロ』 (1536年)
②,ルイス・デ・ナルバエス の『デルフィンに捧げる6つの作品集』 (1538年)
③,アロンソ・ムダーラ の『ビウエラの為の3巻の曲集』 (1546年)
④,エンリケス・デ・ヴァルデッラーバノ の『シレーナの選集』 (1547年)
⑤,ディエゴ・ピサドール の『ビウエラの曲集』 (1552年)
⑥,ミゲル・デ・フェンリャーナ の『オルフェニカ・リラ』 (1554年)
⑦,ファン・ベルムード の『器楽の表現』 (1555年)
⑧,エステバン・ダーサ の『パルナソス』 (1576年)
ドン・ルイス・ミラン Don Luys Milan (1500-1562)
スペイン人、ビウエラ奏者作曲家。スペインヴァレンシア生まれ。
1535年、『エル・マエストロ』と題されたビウエラ曲集を出版。この曲集は、ポルトガル王ジョアン3世に捧げられています。
彼は、ヴァレンシアのヘルマイーネ・デ・フォイクスの総督宮廷に仕える宮廷人であり、
テンポの指定をした最初の作曲家でもあります。 その著書の中で、自分自身のことを「非常に才能豊かな貴族である」~と、
少々、自信家めいたことを述べていたりもしています。
この『エル・マエストロ』には、ビウエラ演奏への助言だけでなく、タブラチュアによるオリジナル曲が多数含まれており、
現在でも愛奏される曲としては、パバーヌ第1番~第6番が特に有名です。(第6番のタブ譜↓)
彼のビウエラ伴奏付きの歌曲『生涯の愛』という作品には、装飾音があるものと無いもの、
それぞれ2種類の楽譜が用意されており、簡単な伴奏の楽譜を用いる際には、歌い手は旋律を多少装飾して唄い、
逆にビウエラ奏者が装飾的な伴奏の方を弾く時には、歌い手はもとの旋律をそのまま崩さないように唄う~と、
演奏者のキャリアや好みなどを配慮した上で作曲されている点が特徴です。
ルイス・デ・ナルバエス Luys de Narvaez (1500?-1555)
スペイン人、ビウエラ奏者、作曲家。1500年ごろ、グラナダ生まれ。
青年期までの記録は残っていませんが、1526年頃から宮廷音楽家としての活動をスタートさせたようです。
当時、スペイン国王カルロス1世は神聖ローマ帝国の皇帝カール5世でもあった為、
内政に関しては王の宮廷秘書官だったフランシスコ・デ・ロス・コボス(Francisco de los Cobos y Molina)が任されていました。
現在、コボスが建設した街並みや聖堂、また彼自身の邸宅は、
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」として保護されおり、
スペインを代表する有名な観光名所となっています。
王室礼拝堂の楽師、聖歌隊に音楽を教える教師として、前述のフランシスコ・デ・ロス・コボスに仕えていたナルバエスは、
「1つのテーマ(主題)から、その場で4つの声部を付け加えることができた」という逸話が残されており、
即興演奏の分野においても有名な人物だったようです。
1538年、バリャドリッドにて『ビウエラの為のデルフィンに捧げる6つの作品集』を出版。
この曲集の表紙には題名のデルフィン~ドルフィン~つまりイルカ(神)のイラストが書かれていて、
ナルバエスは、当時、海の精霊とされるイルカに、この曲集を捧げています。
この曲集には、音楽史上、最初の変奏曲が含まれており、その点でも歴史的な作品集で、
作品の多くは初期のスペイン民謡を主題にしていますが、 メロディだけでなく、その和声の流れに主眼を置いている点に特徴があり、
中でも「牛を見張れの主題による変奏曲」は特に有名です。
彼の作品には、グレゴリオ聖歌やスペインのロマンス(恋の歌)を基準にした編曲や、多声からなるファンタジーが多く見られ、
それらはフランドル楽派の様式に近いものとされています。
1547年、宰相のコボスが亡くなると、翌年の1548年からはフィリップ王子(=後のフェリぺ2世)に仕え、
フランドル、イタリア、ドイツへの旅に随行しています。
正確な没年は不明で、およそ1555~1560年の間とされています。
アロンソ・ムダーラ Alonso Mudarra (1510-1580)
スペイン人、ビウエラ、ルネサンス・ギター(4コースギター)奏者、
いくつかの速度記号(遅く、中庸に、速く)を初めて使い分けた作曲家でもあります。
明確な出生地は不明、青年時代まではグアダラハラ(スペイン)で音楽教育を受けたとされています。
1529年、神聖ローマ皇帝カール5世(カルロス1世)は、当時、イタリア戦争を終結させる為にフランスとの間に講和条約を締結、
また、ローマ教皇庁とはバルセロナ和約を結び、北イタリアにおける権益を確保すると、
1530年、イタリアのボローニャでイタリア王(君主号の1つ)、ローマ皇帝としての正式な戴冠式を行います。
ムダーラは、このカール5世の戴冠式にインファンタード侯イーニゴ・ロペス・デ・メンドーサの一行に随行員として加わり、
イタリアへ渡ったとされています。
スペイン帰国後は、聖職者としての道を歩み始め、1546年には『セビリア大聖堂』の司祭に任命され、
この地で亡くなるまで様々な祭事を監督、取り仕切りました。
1546年、セヴィリアで『ビウエラの為の3巻の曲集 Tres libros de musica en cifras para vihuela』を出版。
この3冊の曲集にはビウエラ独奏のための作品が44曲、ビウエラ伴奏の歌曲が26曲、ルネサンス・ギター独奏曲が6曲、
そしてハープあるいはオルガンのための作品1曲がタブラチュア譜によって収録されています。
中でも「ファンタジア~FantasiaⅩ」は彼の傑作の一つで、
フル・タイトルは「ルドヴィーゴのハープを模倣したファンタジア」と記されており、
彼自身、「この曲を理解するまでは、かなり難しいだろう・・・」という言葉を残しています。
1580年、死後、彼の財産は遺言により、街の貧困層の市民達に分け与えられました。