ギターの黄金期、古典派時代
18世紀末から19世紀初頭の古典派時代は「ギターの黄金期」、もしくは「黄金時代」と呼ばれています。
まず、この時代の基礎を築いた先駆者としては、ミゲル・ガルシア(Miguel Garcia)がいます。
スペインの修道僧だった彼は修道院のオルガニストでしたが、
当時、スペインに渡ってきたルイジ・ボッケリーニに多大な影響を与えた人物で、
また、ディオニシオ・アグアドにギターを教えた指導者でもありました。
この時代、スペインやイタリア出身のギタリスト達はヨーロッパ中を旅していましたが、
特にウィーン、パリ、ロンドンは、数多くの音楽家達の活動拠点でした。
◆ウィーン(1800年~1820年頃)
マウロ・ジュリアーニ Mauro Giuseppe Sergio Pantaleo Giuliani(1781-1829)
ヴェンチェル・トーマス・マティエカ Wenzeslaus Thomas Matiegka(1773-1830)
アントン・ディアベリ Anton Diabelli(1781-1858)
レオンハルト・フォン・カル Leonhard von Call(1768-1815)
◆パリ(1810年~1840年頃)
マテオ・カルカッシ Matteo Carcassi(1792-1853)
フェルディナンド・カルッリ Ferdinando Carulli(1770-1841)
ディオニシオ・アグアド Dionisio Aguado(1784-1849)
フェルナンド・ソル Fernando Sor(1778-1839)
ミゲル・ガルシア MiguelGarcía (1760?-1800?)
スペインのオルガン奏者、ギタリスト、作曲家。出生地や死亡地は不明。
マドリッドのサン・バシリオ修道院に在籍するシトー会派の修道士だったこともあり、
バシリオ神父(Padre Basilio)という別名でも親しまれていたようです。
当時、復弦5コースのギターが一般的だった時代に、単弦による6弦ギターを最初に演奏した人物。
また、初めて現代音楽記法を用いたギターの作曲家でもあり、ディオニシオ・アグアドの先生でした。
スペインのカルロス4世に宮廷音楽家に任命され、ギター教師として女王マリア・ルイサ(カルロス4世の妻)をはじめとする、
多くの貴族達から尊敬を集めました。
18世紀後半、ファンダンゴでスペインで大きな名声を博したボッケリーニは、
弦楽5重奏曲(op.40 no.2 G341 Fandango)のスコアに
「バシリオ神父の演奏法で~」"Quintettino imitando il fandango che suona sulla chitarra il Padre Basilio"と記しています。
近年まで彼の作品はあまりよく知られていませんでしたが、21世紀初頭、
スペイン人ギタリストのカールス・トレパット(Carles Trepat)により、いくつかの作品がリリースされています。
19世紀初頭のスペイン情勢 半島戦争勃発
1806年、ナポレオンは大陸封鎖令を出し、
翌年、イギリスの同盟国であるポルトガルに遠征軍を派遣して征服。
当時、スペインのブルボン朝では、国王カルロス4世と宰相ゴドイの親フランス派と、
皇太子フェルナンドが対立していました。
1808年3月、国王の絶対主義に反対する民衆によるアランフェス暴動が発生、国王カルロス4世と宰相ゴドイは国外追放され、
皇太子フェルナンドがスペイン王フェルナンド7世として即位します。
この内紛を見たナポレオンは、スペイン=ブルボン朝の廃位を決意し、10万の兵を率いてスペインに侵攻します。
1808年5月、ナポレオン軍が入城したマドリードで市民による暴動が発生。
鎮圧に向かったフランス軍は無抵抗の市民までも銃器で次々と殺し、婦女子を含む数百名の市民が虐殺されます。
(※フランシスコ・デ・ゴヤ:1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺)
新王フェルナンド7世は、わずか3ヶ月足らずでナポレオンにより退位を強要され、
6月にはナポレオンの兄であるジョセフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世として即位します。
彼はフランスとの相互協力のもとにスペインの旧体制改革と近代化を目指しますが、
この方針は守旧派や大地主、聖職者のような封建的特権をもつ階級には受け入れ難く、
また、弟のナポレオンは「近代化政策を掲げると自由主義・国民主義が高揚する」という理由から、
ジョセフの即位後もスペイン国民への弾圧を続行。
ところが7月のバイレーンの戦いで、フランス軍は1万7千人の兵士が捕虜にされ、
この大敗北によりジョセフはマドリッドを脱出せざるをえなくなります。
11月には、ナポレオン自ら大軍を率いてスペインに侵攻、12月にマドリードに入城、
イギリスの遠征部隊を追って北西部のガリシア地方に転戦、翌年1月にフランスに帰国しますが、
この間、フランス軍はスペイン各地で略奪や破壊を繰り返した為、民衆の抵抗は弱まるどころかポルトガルにも飛び火し、
イベリア半島一帯は大混乱状態に突入します。
以降、スペイン本土は、ナポレオンに反発する民衆ゲリラ、彼らを支援するイギリス、ポルトガル連合軍とフランス軍との間で、
約7年間にもおよぶ『スペイン独立戦争』の舞台となります。
ちなみに「ゲリラ」とは、スペイン語で「戦争」を意味しており、この独立戦争の中で生まれた言葉でした。